Takaku(SSM 2016) 乳幼児医療費助成は子どもの健康を改善したか

 子どもが医療機関にかかる際に自己負担額が軽減される,乳幼児医療費助成制度が子どもの健康を改善したのか否かを検証した論文.乳幼児期の健康は,その後の健康のみならず様々な面で影響があることが知られており重要なテーマである.

Takaku, R. (2016). "Effects of reduced cost-sharing on children’s health: Evidence from Japan." Social Science & Medicine, 151: 46-55.

 日本の医療保険制度では,就学前児童の外来診療は2割負担となっているが,ほとんどの自治体が独自に2割負担をさらに軽減するための乳幼児医療費助成制度を拡充してきた. 著者が着目するのはこの点である.すなわち,乳幼児医療費助成の在り方が自治体によって異なるのであれば,それを自然実験とみなして識別戦略を練ることが可能になるということだ.社会学ではこうした分析デザインはあまりないが,経済学や近年のポリサイではよくみられる方法である.この論文の面白いところは,自治体によって異なる乳幼児医療費助成の拡充について,独自の調査で明らかにし,その結果を分析に用いているところである.本論文で扱われているのは1995~2010年であるが,この期間に乳幼児医療費助成が自治体ごとにどう変化したのかが分かる公式な資料はないそうだ.そこで全国市区町村に対して郵送調査を行い,乳幼児医療費助成の拡充過程をまず明らかにする.回収率は55%だったそうだが,15歳以下人口でウェイトをかけたところ回収率は75%まで上昇している.郵送調査によって得られた市区町村の医療費助成対象年齢から,都道府県ごとに子どもの年齢及び調査年別にみた「医療費助成の対象となる確率」を下式で算出している.
{ \displaystyle
Prob_{npt} = \sum_{m=1}^{N} W_{mt}*Elig_{nmt}
}
 t時点における都道府県pに居住するn歳のiさんが乳幼児医療費助成の対象となる確率{ \displaystyle
Prob_{npt} }は「都道府県pにおける市区町村mに居住するn歳のiさんが乳幼児医療費助成の対象年齢であるか否か」に15歳以下人口のウェイトをかけた{ \displaystyle \sum_{m=1}^{N} W_{mt}*Elig_{nmt}
}に等しいという設定である.そして,「国民生活基礎調査」のおける子どもの健康に関する指標と「医療費助成の対象となる確率」をマッチさせ,乳幼児医療費助成を拡充した都道府県で子どもの健康指標が改善したかを検証している.したがって,最終的な分析モデルは,アウトカム=子どもの健康指標を{ \displaystyle H_{it} },統制変数を{ \displaystyle X_{it} },誤差項を{ \displaystyle \upsilon_{it} }とすると,
{ \displaystyle H_{it}=G(Prob_{npt}, X_{it}, \upsilon_{it}) }
となる.知りたいのは{ \displaystyle Prob_{npt} }の因果効果であるため,幾つかのSpecification Testを行い,さらに測定誤差の問題に対処するために回収率の低かった都道府県を除いた分析を行っているが,結果に大きな違いはみられなかった.アウトカムである子どもの健康指標については,有訴(熱,だるさ,咳,頭痛,ぜいぜい,⻭痛,鼻づまり,便秘,下痢,胃痛,発疹,切り傷),入院しているか否か,健康上の問題による日常生活の困難の有無,主観的健康観,病院外来の有無を設定している.また就学児と未就学児に分けて分析を行っている.ちなみにこ健康指標については本人が回答しているのではなく親が代わりに回答している.

 分析結果は以下の通りである.

  • 有訴確率について,「医療費助成の対象となる確率」は未就学児においてのみ有意に負の効果(=有訴確率を下げる)があるが,就学児については有意な効果はない.有訴の内容について細かくみると,未就学児フルサンプルでは熱,せき,歯痛,便秘が全体の負の効果を牽引している.就学児については健康上の問題による日常生活の困難の有無,主観的健康観も検討したが効果はなかった.
  • 入院確率について,「医療費助成の対象となる確率」は未就学児・就学児ともに有意な効果はない.
  • 病院外来にかかっている確率について,「医療費助成の対象となる確率」は未就学児においてのみ有意に正の効果があるが,回収率の低かった都道府県を除くと有意でなくなる.症状について細かくみると,主に重篤でないと思われる「せき」が有意に正の効果をもっており,先の入院確率において有意な効果がないという分析結果と整合的だとされている.

 以上から,乳幼児医療費助成の拡充が子どもの健康改善に与える効果は限定的だったと結論づけている.分析結果をうけて,著者は幾つかの論点を挙げている.まず,今回の分析では乳幼児医療費助成が子どもの健康改善に与える効果は限定的だったが,医療の目的はそれだけではないので,効果が限定的だからという理由のみで制度は否定されないということ.また,今回の分析では乳幼児医療費助成の短効果に着目したが,長期的にはどうなるかわからないということ.例えばCurrie et al.(2008)では短期的な効果はないが長期的には効果があることが示されているそうだ.さらに,今回の分析とは直接関連しないが,日本では乳幼児医療費助成は拡充される一方で,妊娠中の女性に対する医療費助成を実施している自治体は少ないそうである.Currie and Gruber(1996)では妊娠中の女性に対する医療費助成が生まれてくる子どもの健康状態を改善したことを報告しているため,今後の乳幼児医療費助成の在り方については様々な選択肢があるだろう.実際に,子どもの医療については厚労省子どもの医療制度の在り方等に関する検討会」でも議論されている.この結果を知ってショックを受ける関係者は多いかもしれないが,分析デザインが練られており,またテーマも重要で政策的インプリケーションも豊富なので,各方面で貢献のある分析だと思った.