Moretti(2013) 年収は「住むところ」で決まる

これまた積ん読だったモレッティ本を読了した.労働経済学の論文しか読んだことがないが,都市経済学でも著名な経済学者である.

年収は「住むところ」で決まる  雇用とイノベーションの都市経済学

年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学

 

 このモレッティ本,主題はタイトルのとおりで,居住地が所得に与える影響が非常に大きいということを示している.冒頭に以下の文章がある.

今日の先進国では,社会階層以上に居住地による格差のほうが大きくなっている.もちろん,グローバル化と技術の進歩は押しとどめようがなく,この二つの要因の影響を強く受ける経済では,教育レベルの低い働き手より教育レベルの高い働き手のほうが有利なことは間違いない.しかし,雇用と給料がこの二つの要因からどのような影響を受けるかは,個人がどういう技能をもっているかより,どこに住んでいるかに左右される.p.22

 「どこに住んでいるか」が所得に与える影響というものは,我々が思っているより大きなものなのだ.ではどういう場所が所得に上昇効果をもたらしているのだろうか.それはイノベーション産業であるというのがモレッティの回答である.

イノベーション産業は労働市場に占める割合こそわずかだが,それよりはるかに多くの雇用を地域に生み出し,地域経済のあり方を決定づけている....(略)...私がアメリカの320の大都市圏の1100万人勤労者について調査したところ,ある都市でハイテク関連の雇用が1つ生まれると,長期的には,その地域のハイテク以外の産業でも5つの新規雇用が生み出されることが分かった.p.83

 ハイテク産業の乗数効果はものすごいそうである.上記の乗数効果の論文はMoretti(AER 2010)に掲載されているので後ほど目を通してみたい.都市が厚みのある労働市場を擁しているといくつかの思いがけない効果があることの事例であるが,こうした恩恵を受けられるのは大卒者等の高学歴者に限らず,高卒者等にも巡ってくることがポイントだろう.

とくに注目すべきなのは,技能の低い人ほど,大卒者の多い都市で暮らすことによる恩恵が概して大きいということだ.p.135

このことはMoretti(2004)で指摘されているが,もう少し細かくみると以下のことが言える.すなわち,ある都市に住む大卒者の数が増えれば,その都市の大卒者の給料が増えるが,さほど大きな伸びではない.一方で,高卒者の給料の伸びは大卒者の4倍に達する.高校中退者の場合は5倍だそうだ.これには驚いた.

それではそうしたハイテク産業が集中する都市があるとして,その都市になぜ企業が集中するのだろうか.第4章で検討されているのがこの「引き寄せのパワー」である.問題意識は明確である.

アメリカのイノベーションハブが形成されている場所は,一見するとなんの必然性もないように見える.従来型の産業では,個々の産業がどの土地に栄えるかは,たいてい天然資源と密接に結びついていた......それと異なり,なかなか説明がつきにくいのが,イノベーション産業の集積地の分布状況だ.p.160

この問いについて様々な視点から検討されているが,興味深いのは,知識の伝播がどのように生じているのかを検討している箇所だ.迅速なコミュニケーション手段が発達し,航空料金も昔に比べれば安くなった時代に,地理的な近さを重んじる必要などあるのあろうか.大いにあるというのが回答である.Jaffe et al.(QJE 1993)は,特許における先行技術の引用状況を調べ,イノベーションがどのように伝播していったのかを辿っている.

ジャフィーらが見いだした結果は,驚くべきものだった.発明家たちは特許申請の際に,遠く離れた場所の発明家ではなく,近くの発明家の業績を引用する傾向があったのである.取得された特許の内容は誰でも閲覧できるので,引用状況が地理の影響を受ける必然性はない.たとえば,ノースカロライナ州ダーラムの発明家がダーラムで生まれた特許について知る確率は,ほとかの土地で生まれた特許の場合と変わらないはずだ.ところが実際には,ダーラムの発明家は特許申請するとき,ほかの都市の発明家の先行特許より,ダーラムのほかの発明家の特許を引用する確率がはるかに高いのである.p.185

研究者のモレッティはこのことがよく分かると言う.少々長くなるが引用する.

遠くの研究仲間とは電話や電子メールで連絡を取り合っているが,本当に優れたアイデアは,たいてい予想もしていないときに思いつく.同僚とランチを食べているときだったり,給湯室で立ち話をしているときだったり.理由は単純だ.電話や電子メールは情報を伝達するのに適しており,研究の核となるアイデアを見いだせたあとに研究プロジェクトを進めるうえではきわめて有効な手段だが,新しい創造的なアイデアを生み出す手段としては最適ではないのだ.......いつ遠方の同僚と電話するかをあらかじめ決めておいて,そのときに新しいアイデアを思いつこうと計画するのはばかげた発想だ.大半の研究者は同意してくれると思う.アカデミズムの人間が大学に誰を採用するかを決めるために多くの時間を割くのは,どういう同僚と一緒に過ごすかによってみずかの生産性が左右されるからでもあるのだ.p.187

生産性の高い人に囲まれていると自らも生産性が高くなるという話は,Ph.D留学経験者からしばしば耳にする話だ.この点について,面白くかつ巧みなアイデアでセレクションバイアスを除去したAzoulay et al.(QJE 2010)が紹介されている.こちらも長くなるが引用する.

学界のスーパースター級の研究者と共同研究をおこなうと,医学研究者たちの研究の質にどういう影響があるのかを調べたのだ.この点に関して因果関係を割り出すのは簡単ではない.いわゆる自己選択のバイアスが作用する可能性があるからだ.スーパースター研究者は能力の高い研究者と一緒に研究したがるので,もし共同研究者たちの研究の生産性が高いとしても,スーパースターから知識が伝播したというより,その人たちがもともと優れているからにすぎないかもしれない.こうしたバイアスの影響を排除するために,アズレーらは賢明な方法を思いついた.スーパースターが急死した場合(そういうケースを112件見つけた)に,その前後で共同研究者たちの研究の生産性がどのように変化するかを調べたのだ.すると,共同研究者たち自身の環境は変わっていないにもかかわらず,「質を考慮に入れた場合の論文発表率は,長期にわたって5~8%の落ち込みが見られた」という.研究者同士が地理的に近くにいると,発表する論文の数だけでなく,質にも好ましい影響が及ぶようだ.p.188

以上のように,本書では興味深い結果が多く提示されており,またストーリ展開もエキサイティングであり,読み物として飽きない.モレッティは経済学者であるが,都市経済学の話は都市社会学とも密接に関連しているので,社会学者が読んでも得るものが大きいのではないのだろうか.トップジャーナルに何本も業績をもつモレッティが,きちんとした学問的根拠に基づいてストーリーを展開している点が本書の売りであろう.

Goldthorpe(ESR 2001) 因果関係,統計学,社会学

イギリスの社会学者ゴールドソープが因果関係について整理し,さらに社会学で因果関係の分析がいかになされるべきかを説いているエッセイ.

Goldthorpe, J. H. (2001). “Causation, Statistics, and Sociology.” European Sociological Review, 17(1), 1–20. 

まずゴールドソープは,Bernert(1983)を引用しながら,因果関係という概念が社会学で十分に検討されてこなかったことを指摘する.さらに,確率論と決定論の話に少し触れた上で,統計学の影響を受けながら形成された因果分析(causation)の概念を以下の3つに分類する.

1.Causation as Robust Dependence

 相関関係が因果関係ではないという話はどこでも聞く話だ.これに続く話として,例えば社会学で学部前半の講義であれば,ラザーズフェルドのエラボレーションの話がでるだろう.エラボレーションとは,クロス表でXとYに関係がありそうな場合に,新たな変数ZでXとYを条件付けたらXとYの関係が消えましたね,というだけの話だ.この場合,明らかにXとYはrobust dependenceではない.こうした作業の延長として,多変量解析の場合には変数を追加してコントロールすることもある.一方で計量経済学の場合,Granger(ECTA 1969)で有名なグレンジャーの因果が注目された.グレンジャーの因果は時系列での話であるが,時系列の計量テキストで有名な沖本(2010)では,定義を以下で与えている.

現在と過去のxの値だけに基づいた将来のxの予測と,現在と過去のxとyの値に基づいた将来のxの予測を比較して,後者のMSEの方が小さくなる場合,y_tからx_tへのグレンジャー因果性(Granger causality)が存在するといわれる.(p.80)

グレンジャー自身が述べているように,グレンジャー因果性は将来の予測に焦点があるが,ラザーズフェルドのエラボレーションにしてもグレンジャーの因果テストにしても,XがYに対してrobust dependenceかどうかをチェックしようとしているということだ.1960~80年頃の社会学では,このrobust dependenceの追求が因果分析と考えられていたとゴールドソープは述べている.ちなみにこれはMorgan and Winship(2014)が「回帰の時代」と述べているのと重なる.

 こうした分析は今日では因果分析(推論)として考えられていないし,果たしてこれを因果分析の3類型に組み込んでいるのはやや疑問だが,少なくとも上記のような分析が因果分析と考えられていた時代やコミュニティがあった(ある)ということをゴールドソープ先生が語ると時代認識が膨らむ.

2.Causation as Consequential Manipulation

 上記のrobust dependenceよりは今日的なトピックであるように,ここでの因果分析では興味のある変数を操作することで因果効果をみることを指す.つまり実験研究におけるRCTである.RCTの場合に,処置以外の共変量はtreatment groupとcontrol groupで有意に差がないはずなので(充分なサンプルサイズで大数の法則),この2群の差を平均因果効果として解釈できるというわけだ.こうした考え方は,シンプルかつ(共変量を完全に除去しており)強力なので,robust dependenceに比べると統計学者にも因果分析として受け入れられる.これは当然だ.ゴールドソープはほぼ言及していないが,RCT以外にもconsequential manipulationの系にはIVやRDD等のquasi-experimentも含まれる.この章のみならず,このエッセイでゴールドソープが引用している文献は古すぎてかなり違和感があり,今日の因果推論を多少なりともフォローしてる人ならば「その問題提起古くない??」となるかもしれない.それはさておき,ゴールドソープも言うように,社会学界ではmanipulationアプローチに対して賛成派と反対派がいる.賛成派はもちろんソーベル.反対派として挙げられているのはStanley Liebersonである.ゴールドソープはどうかというと,「俺は違う道を行く!」と言っており,それが次のCausation as Generative Processである.

3.Causation as Generative Process

 robust dependenceを今日的な因果分析の分類として採用するのは不適当だと思うので除外するが(歴史的な話として分類するには役に立つ),manipulationで確認された因果効果はどのようなメカニズムで生じたのだろうか??それを考えるのが社会学が因果分析で取り組むべきことだろうというのがゴールドソープの主張であり,これをGenerative Processと呼んでいる.Generative Processは因果メカニズムと呼んでいいかもしれない.Generative Processを解明することは先のconsequential manipulationの分析結果をよりリッチにさせるので,その限りで両者の分析は補完的であるとゴールドソープは述べている.

 

 以上,かなり簡単にまとめたが,ゴールドソープはGenerative Process推しである.Consequential ManipulationとGenerative Processが補完的だというのは全くその通りだと感じる.このエッセイでゴールドソープは触れていないが,社会学では他の社会科学分野に比べて様々な分野で(必ずしもフォーマライズされていない)理論・質的分析が蓄積していると思うので,そうした理論・質的分析結果の蓄積がGenerative Processに貢献する点が大きいだろう.具体的には,ゴールドソープがGnerative Processの仮説構築で必要な作業としているcrucial subject-matter inputのあたりだろうか.計量屋と質的屋がタッグを組むことでGenerative Processの分析は前進すると思うので,まずは自分からこうした姿勢を心がけて頑張りたいなと感じさせるゴールドソープ御大のエッセイでした.

Xie(2007) ダンカンの流儀:社会学における人口学的アプローチ

最近まわりで耳にする論文なので読んでみた.

Xie, Yu. 2007. "Otis Dudley Duncan's Legacy: The Demographic Approach to Quantitative Reasoning in Social Science." Research in Social Stratification and Mobility, 25(2): 141-156.

ダンカンといえばお笑い芸人とビートたけしのものまねが思い浮かぶかもしれないが,ここでのダンカンは社会学者のダンカンである.社会学では計量分析への貢献者として有名であり,またブラウとの共著American Occupational Structureは社会移動・階層の古典としてあまりにも有名である.
ここでは計量社会学の簡単な歴史と,ダンカンの研究スタンスが事例とともに紹介されている.目次に沿ってまとめる.
1.Population thinking versus typological thinking
 エルンスト・マイヤーによれば,プラトン以降の本質主義(essentialism)に親和性がある類型学的思考(typological thinking)と対立図式にあるのが集団的思考(population thinking)であり,後者はダーウィンによって導入されたものである.社会物理学の提唱者としても知られるケトレに続き,統計学を社会を思考する道具にしたのはゴルトン(ダーウィンのいとこ)である.いずれも統計学ツールにしていたが,両者は以下の点で異なっていた.すなわち,ケトレは集団における平均(average)が安定的であることに着目した一方で,ゴルトンはあまり平均(average)に関心をもたないどころか平均が安定的だとも思わず,むしろ全体の分布に興味を持っていたようだ.ゴルトンは後にregressionやcorrelationの概念を提唱している.類型学的思考(typological thinking)と集団的思考(population thinking)の考え方の違いは誤差をどのように捉えているかにもあらわているという.類型学的思考(typological thinking)については,

In typological thinking, deviations from the mean are simply "errors," with the mean approaching the true cause. That is, the true cause is con- stant, but what we actually observe is contaminated by measurement error.

というわけであり,集団的思考(population thinking)については,

In population thinking, deviations are the reality of substantive importance; the mean is just one property of a population. Variance is another, equally important, property.

というわけである.ダンカンはmeanとaverageの違いについてもこだわっていたことが書かれている.ところで類型学的思考(typological thinking)と集団的思考(population thinking)は,方法論的個人主義集団主義(holism)の関係とどう関連しているのかが気になった.
2.Duncan as a population thinker
 ダンカンがpopulation thinkerであり続けたことが説かれている.著者のXieへ送ったメールからも文章が引用されていて面白い.ちなみに,ダンカン自身は1984年のNotes on Social Measurement: Historical and Criticalを生涯の代表作と考えていたらしい(2004年9月27日のXieとのやりとりで).

Notes on Social Measurement: Historical and Critical

Notes on Social Measurement: Historical and Critical

集団的思考とダーウィンについて,ダンカンはNotes on Social Measurementのなかで以下のように述べている.

Darwin's emphasis on the variation among individuals in any natural population and the heritability of such variation actually provides the general conceptual framework for psychometrics and makes clear its affiliation with the population sciences. (Psychophysics, by contrast, has usually taken a typologically oriented interest in the species norm. . .and has only grudgingly conceded the existence of interindividual variation, regarding it as a nuisance rather than a primary object of inquiry.) (p. 200)

ダンカンは,普遍的な因果法則を社会に求めるのは意味がないと感じており,社会科学はpopulation scienceだと信じていたとXIeは述べている.
さらに,ダンカンの立場を強調するために,Xieは類型学的思考(typological thinking)と集団的思考(population thinking)をそれぞれGaussian approachとGaltonian approachと結びつけている.両アプローチの定式は以下となる.

Gaussian approach (typological thinking): Observed data = constant model + measurement error

Galtonian approach (population thinking): Observed data = systematic (between-group) Variability + remaining (within-group) variability

XieがDavid. Freedmanに指摘されているように,上記の違いは明確ではなく(統計的には同じ定式なので),解釈の問題であることを最初に断っておく.ここでGaussian approach (typological thinking)派として挙げられているのが社会学者Blalockと先ほどの統計学者Freedmanで,Galtonian approach (population thinking)派として挙げられているのがダンカンである.Causal Inferencec in Nonexperimental Researchの著者であるBlalockが広くあてはまる因果法則を志向していたのに対して,ダンカンはきっぱりと,

The stress on the populational as opposed to the typological approach is valuable. I was totally unable to get it across to H. Blalock.

反対している.面白いのはフリードマンとダンカンの手紙のやりとりである.フリードマンがブラウ・ダンカン本でのパス解析の使い方を批判しているのに対して,ダンカンは手紙で「確かにまずかったかも」と反省している点等々,なんども手紙のやりとりをしているようだが,お互いの立場は典型的なGaussian approach [vs] Galtonian approachだったようであり溝は埋まらなかった.ちなみにフリードマンはダンカンに"Your distinction between the Gaussian and Galtonian regression traditions seems right."と書いているそうである.
3.Duncan's influence on quantitative reasoning in social science
 人口学と社会学が接近したのは主にダンカンの貢献であることが述べられている.
4.Dissatisfaction with statistical sociology
 ダンカンは社会学における計量分析に大きな不満があったようである.というのも,パス解析の回帰係数があたかも因果関係のように解釈されている研究が非常におおかったからである.パス解析の提案者ともいわれるダンカンは,因果関係を特定するというよりは,変数間の構造(相関関係)に着目し,問題提起をする意味でパス解析を用いていたが,巷ではダンカンの思いとは異なるように分析手法が流布していったからである.ダンカンは計量経済学者のゴールドバーグとも親交があったようで,ダンカンは社会学と経済学の違いについて以下のように述べている.

Sociologists appear to be most interested in an "inductive" strategy with respect to models, holding to the somewhat forlorn hope that it will be possible to "discover" the right model through data analysis ...... Economists, I take it, have somewhat more confidence in their theories which have a status of a priori information with respect to their models, and therefore are more concerned with efficient estimation.

うーん....こうした分類というか区別について社会学者と経済学者がどの程度同意するのだろうか.とりあえずこの章で強調されているのは,ダンカンは無頓着に統計的分手法を用いる社学者(この傾向をstatisticismとして揶揄している)に対して心底怒っていたということである.そしてなによりも,

quantitative tools should not be used to discover universal laws that would describe or explain the behaviors of all individuals. He totally rejected such endeavors as meaningless. He believed that all quantitative analysis can do is to summarize empirical patterns of between-group differences while temporarily ignoring within-group individual differences.

というのがダンカンの信条だそうである.
5.The key problem: population heterogeneity
 ここではダンカンがラッシュモデルにはまっていたこととpopulation heterogeneityの分析に重心を置いていたことが確認されるが,ダンカン曰く,

In the little thinking I do these days about the old battles I fought, it has increasingly seemed to me that one of two or three cardinal problems that social science has not yet come to grips with is precisely this issue of heterogeneity... The ubiquity of heterogeneity means that for the most part we substitute actuarial probabilities for the true individual probabilities, and therefore we generate mainly descriptively accurate but theoretically empty and prognostically useless statistics.

である.
6.Conclusion
 Xieはダンカンを非常に慕っていることが伺えるが,まとめるとダンカンの計量社会学への貢献は,ダーウィンにより導入されゴルトンによって発展させられた集団的思考を社会学界隈に周知した点であるそうだ.すなわち,ダンカンによれば計量社会学の重要なタスクとは,集団的多様性の体系的なパターンを記述することであるそうだ.

晩年のダンカンはpopulation heterogeneityに注力したが,結果として計量社会学にガッカリ(disappointed)したそうである.ガッカリというのはどういう意味でXieが使っているのかは分からないが,ダンカンのガッカリも,仮にダンカンが今日の統計的手法を勉強すればだいぶ緩和されたのではないかという気がする.確かにHeckman(2001)が述べるように,population heterogeneityは因果推論のみならず応用計量分析にとって課題ではあるが,なにもできていないわけではないし,現在の計量分析ツールがpopulation heterogeneityについてなにも分析できていないと言えば単なる勉強不足だと笑われるだけだろう.ダンカンの志向も分かるが,Gaussian approach [vs] Galtonian approachという図式を取り出して「俺はこっちだお前はこっちだ」とか言い続けるのではなく(もちろんこうした解釈は重要である),そういうのはある程度内に秘めておきながら今日の社会学者はもっと計量分析の方法論で勝負できるようにならなければならないと感じる.社会学のテリトリーにもかかわらず,方法論で遅れをとっているために他分野にのっとられるという例は決して少なくないしこれは悔しいことである.最後に,ダンカンはこんなジョークもとばしている.

Economists reason correctly from false premises; sociologists reason incorrectly from true premises. Thus they create two complementary bodies of ignorance. (Duncan to Yu Xie, June 28, 2003)

Brand and Xie(ASR 2010) 最も教育リターンを受けているのは誰か?因果効果の異質性

大卒学歴が賃金に与える因果効果について,異なる個人に異なる因果効果(heterogeneous causal effects)を想定し検証した論文.

Brand, J. E., & Xie, Y. (2010). "Who benefits most from college? Evidence for negative selection in heterogeneous economic returns to higher education." American Sociological Review, 75(2), 273–302.

大卒と賃金に関する先行研究では,大学に行きそうな特性を持っている人(本人の能力が高かったり親が大卒だったり周囲も大学進学希望者が多かったり等)が最も教育リターンを受けているというpositive selection biasが指摘されている(Carneiro, Heckman and Vytlacil 2001; Carneiro, Hansen and Heckman 2003; Carneiro, Heckman and Vytlacil 2007; Heckman, Urzua and Vytlacil 2006).その一方で,大学に行かなそうな特性を持っている人(本人の能力が低かったり親が非大卒だったり周囲も大卒進学を希望していなかったり等)が最も教育リターンを受けているというnegative selection biasも指摘されている.positive selection hypothesisの背景には,個人は大学に進学することで得られるだろう金銭的リターンが授業料等のコストより大きい場合に進学すると想定されている.基本的に,効用は経済的リターンの関数であり,効用最大化に基づき意思決定を行う.個人にとっての大学進学が仮にこのような意思決定構造となっているならば,大学には大学に来ることでコストが回収できると思っている人ばかりが集まっているので,positive selectionが生じているだろう.一方で,negative selection hypothesisの背景には,positive selectionとは異なり,大学進学の意思決定には経済的要素以外に文化資本や人的資本の影響があり,大学に行きそうな特性を持っている人の場合には,定義上,文化資本や人的資本があるため,意思決定に際して経済的要素をあまり重視しないとの想定がある.例えば,親戚がみなハーバードに入っている家庭に育った人にとって,大学に行くことはいわば「フツー」のことであり,とりわけコストベネフィットを考慮して意思決定していないだろう.一方で,大学に行かなそうな特性を持っている人は,大学に行きそうな特性を持っている人に比べて,大学に行くという意思決定をするには何かしら明確な動機があると考えられ,negative selection hypothesisではその何かが経済的リターンだとされる.そのため,negative selection hypothesisでは大学に行かなそうな特性を持っている人が最も大学卒業による経済リターンを受けていると想定される.ここでポイントとなるのは,大学に行きそうな人と行かなそうな人とでは,大卒が賃金に与える効果が異なると想定されており,これは因果効果の異質性である.因果効果の異質性は,因果推論の課題としてしばしばトピックに挙がっており,subsampleで分析したりLATEの概念を使ったりと色々なやり方があるが,ここでは大卒{ \displaystyle d} を共変量{ \displaystyle {\bf X}}に回帰して傾向スコアを算出し,傾向スコアが高い者=大学に行きそうな特性を持っている人,傾向スコアが低い人が=大学に行かなそうな特性を持っている人としている.因果効果の異質性を考慮した推計式は以下である.
{ \displaystyle y_i=\alpha_i+\delta_id_i+{\bf \beta'X_i}+U_i}
このままでは識別できないので,ここでignorability assumptionを仮定する.ignorability assumptionは簡単に言ってしまえば,大卒{ \displaystyle d} は共変量{ \displaystyle {\bf X}}によってのみ決定されるということだ.この仮定を直接チェックすることはできないし実際に怪しいがここではモデルを単純が化するために妥協している.傾向スコアで層化した後に,マルチレベルの一種である階層線系モデル(HLM)で傾向スコア高低と大卒の交互作用効果をみている.

データはNational Longitudinal Survey of Youth(NLSY)とWisconsin Longitudinal Surveyの2つのパネルデータを用いている.2つを使うのはロバストネスチェックのためと使える共変量が異なるため.

分析結果は,NLSYデータでもWLSデータでもnegative selection biasを支持しているが,男性と女性ではlevel2の係数の大きさが違ったり,NLSYとWLSでは傾きが異なっている.後者については,サンプリングの問題があると指摘しているが,傾向スコアの低い人たちが最も大卒の効果が大きく,傾向スコアが高くなるにつれて大卒の効果は小さくなるというnegative selectionと概ね整合的な結果となっているというものである.なぜこういう結果になるかというと,傾向スコアの低い人たちは,大卒ではない場合に,能力や文化資本やネットワーク等の様々な面で傾向スコアの高い人たちより不利な立場にある.したがって,大卒プレミアムは傾向スコアの低い人たちの間で最も効果があるということだ.

例えば経済学のトップジャーナルのlabor系では,いかに政策や介入の効果を綺麗に識別できるかがアクセプトかリジェクトとかを分けると聞いたことがあるが,本論文のように,手持ちの観察された変数を用いて傾向スコアとHLMをあわせてtreatment effectを推計するというのは少なくともecon系ではあまり見かけないように思うし,綺麗に識別されているとは言い難いだろう.また本論文でignorability assumptionを仮定しているのに対して,positive selection(econで多く見かける仮説)の文献でも挙げられるヘックマンらの論文ではignorability assumptionを仮定していない点ももっと突っ込んで考えてみたい(その場合は傾向スコア調整では識別不可能).因果効果という点ではやはりグッドな操作変数やRDDが望ましいしeconでもこの方法が大多数だと思うが,因果効果の異質性を考慮した場合,subsampleで分析したりLATEのcompliersを考察したりという方法以外にどのような方法があるのか,また本論文のようなアプローチが計量屋(特にエコノメトリシャン)にとってどのように受け止められているのかが気になるところである.あとポリサイでは傾向スコアに関する方法論がたくさんでてきている印象だが,例えば最近のImai and Ratkovic(2014)のCBPSで再分析した場合に結果が変わったりしないのだろうかとか,色々知りたい点はある.とはいえ,ストーリーとしては面白いので,そのままの枠組みで日本のデータを用いて分析してみたり,アウトカムを変えて分析してみたりと,色々と試してみたい気はする.来年のASAネタにも使えるかもしれない.

Allison(2009) Fixed Effects Regression Models

固定効果モデルと変量効果モデルについて平易に解説した本.

Fixed Effects Regression Models (Quantitative Applications in the Social Sciences)

Fixed Effects Regression Models (Quantitative Applications in the Social Sciences)

著者は社会学では有名なポール・アリソンで,SAGE本シリーズでは他にEvent History AnalysisとMissing Dataを書いている.
Missing Data (Quantitative Applications in the Social Sciences)

Missing Data (Quantitative Applications in the Social Sciences)

Event History and Survival Analysis (Quantitative Applications in the Social Sciences)

Event History and Survival Analysis (Quantitative Applications in the Social Sciences)


イントロは以下のようにはじまっている.

For many year, the most challenging project in statistics has been the effort to devise methods for making valid causal inference from nonexperimental data.

固定効果モデルで強調されるのは,観察されない個人(グループ)の異質性を除去できることなのでこうした出だしなのだろう.とはいえ,因果推論といったときに固定効果モデルが強調されることはあまりないが...もちろんDiDは固定効果モデルの一種だが.この点はさておき,構成は以下の通りである.

1.Introduction

2.Linear Fixed Effects Models: Basics

3.Fixed Effects Logistic Models

4.Fixed Effects Models for Count Data

5.Fixed Effects Models for Event History Data

6.Structural Equation Models with Fixed Effects

アペンディックスにはstataコマンドも掲載されている.アリソンにならって以下のモデルから出発しよう.
{ \displaystyle

y_{it}=\mu_t+\beta{\bf X}_{it}+\gamma{\bf z}_{i}+\alpha_i+\epsilon_{it}

}
ここで,{ \displaystyle \mu_t}はtにおける切片,{ \displaystyle {\bf X}_{it}}は時間がたつと変化する(time-varying)説明変数ベクトル,{ \displaystyle {\bf z}_{i}}は時間がたっても変化しない(time-invarying)説明変数ベクトル,{ \displaystyle \alpha_i}は個人間で異なるが時間変化しない要素を含む誤差項,{ \displaystyle \epsilon_{it}}は個人間でも時間でも異なる誤差項である.誤差項を2つに分けることがポイントだ.固定効果モデルでは{ \displaystyle \alpha_i}{ \displaystyle \epsilon_i}の独立を仮定するが,{ \displaystyle \alpha_i}{ \displaystyle {\bf X}_{it}}の独立は仮定しない(つまり相関を許容).さらに,仮に{ \displaystyle \gamma}の推計に関心がなければ{ \displaystyle \alpha_i}{ \displaystyle {\bf Z}_i}の相関も許容する.一方で,変量効果モデルでは,{ \displaystyle \alpha_i}{ \displaystyle {\bf X}_{it}}の独立が仮定されている.固定効果モデルでは,偏差{ \displaystyle y^*=y_{it}-\bar{y}_{it}}と偏差{ \displaystyle {\bf X}^*={\bf X}_{it}-\bar{{\bf X}}_{it}}を設定することで観察されない個人の異質性を除去する.固定効果モデルと変量効果モデルのモデル選択について以下のような強調があるのは有益である.すなわち,固定効果モデルでは変量効果モデルに比べて標準誤差が大きく出やすいということだ(もちろん小さくでるときもある).これは,変量効果モデルではwithinとbetweenの両方を含むのに対して,固定効果モデルではwithinの情報のみを使うからである.ハウスマン検定で両者のいずれが採択されるかをみるのみでなく,両モデルで係数や標準誤差に大きな違いがある場合には,それを比較することで,観察されない個人の異質性がどの程度影響を与えているかを考えることができる.固定効果と変量効果の使い分けについては,当然,分析目的に依存している.つまり,アリソンが明示的に述べているように,効率性(efficiency)とバイアス除去のトレードオフが存在している.変量効果モデルの方が効率性があるが,これは変量効果モデルが仮定するところ,すなわち{ \displaystyle \alpha_i}がその他の右側(right-hand side)の変数と独立である場合のみに成立する.この仮定が満たされているのはなかなかないし,パネルデータを生かそうとすれば観察されない個人やグループの異質性を除去することになるので,固定効果モデルの採用が目立つ.このあたりは漸近理論をどの程度重視するかと関連するが....本の中では固定効果と変量効果が混合するハイブリッドモデル(マルチレベルの文脈でよく使われるセンタリング)についても触れられている.アリソン本のハイブリッドモデルについては,偏差{ \displaystyle y^*=y_{it}-\bar{y}_{it}}は投入せず,偏差{ \displaystyle {\bf X}^*={\bf X}_{it}-\bar{{\bf X}}_{it}}のみを投入するが,基本的なメリットは,観察されない個人の異質性と個人内変化の効果を比較しながら分析をできる点である.

Angrist and Pischke(2015) Mastering 'Metrics

実験学派のラスボス的存在アングリストとピシュケの新刊Mastering 'Metricsをやっと読んだ.本書の主眼,というか実験学派,というかlabor系の主眼が,いかに特定のtreatmentの因果効果を綺麗に識別するかであることを断っておく.

Mastering 'Metrics: The Path from Cause to Effect

Mastering 'Metrics: The Path from Cause to Effect

 

 レベルは前著のMostly Harmless Econometricsより低く,直感的な理解に重点を置いている.また扱っているトピックも5つでありシンプルである.数式もほとんど出てこないので,エコノメの因果効果でどういうことをやっているのかを大まかに理解するにはもってこいだろう.学部レベルの内容だが院生が読んでも勉強になる素晴らしい本だと思う.とはいえ,やはり内容はかなり基本的なものばかりなので,この分野にある程度明るい人ならばMostly Harmless Econometrics超える評価をしないだろう.ちなみに,人によってはアングリストらの文章がわかりにくいという声をよく聞くが,私は読みやすいと思っている.

Mostly Harmless Econometrics: An Empiricist's Companion

Mostly Harmless Econometrics: An Empiricist's Companion

 

 以下,各章の内容を簡潔に紹介してみよう.

1.Randomized Trials

Randomized Control Trials(RCT)からはじめるというのがこの本の特徴でもある.因果効果をみるためにはなぜRCTがベストなのかが丁寧に説明されている.Treatment groupsとControl groupのサンプルサイズが大きい場合には,大数の法則によって,セレクションバイアスが除去される.Random assignmentがうまくいっているかどうかは,多くの場合に,Treatment groupsとControl groupで共変量バランスをチェックする.すなわち,両グループで有意な差がないことを確認するのである.このあたりの説明は類書のなかでも抜群に分かりやすい記述になっていると感じた.

2.Regression

RCTができないときはどうすれば良いのだろうか.この流れを導入するために1章はRCTについて説明しているのだ.で,線形回帰モデルからはじまっている.単回帰から重回帰にモデルを拡張する際の説明として,Omitted Variables Bias(OVB)がどういったものかに注目している.これはモストリーハームレスでも同じである.メインツールがOLSの場合,モデルを拡張するなかでOVBを丁寧に考察している論文はあまり見かけないように思うが,後に説明するIVやRDDをセットで用いずにOLSだけでせめるならば,OVBの考察は決定的に重要であるだろう.なぜならOVBについて推論することはTreatment effectについて少しばかりの予測を可能にするからである.もちろん,OLSだけでジャーナルに載ることは今の時代考えにくいが.章末ではシンプルなRegressionではセレクションバイアスがかなり残ってるよねという話で次章につなげている.

3.Instrumental Variables

ここでIVが登場する.操作変数とは,Treatment Variableの内生性や観測誤差を取り除くために投入される変数だが,識別に満たすべき仮定は,IVがTreatment Variableの処置を強く予測する,Independence assumption,Exclusion restriction assumptionの3つがある.IVEの推計にしばしば用いられるのは2SLSだが,IVEの説明が丁寧である.すなわち,誘導系の係数を1st stageの係数で割ってやるとIVEになるよという話が具体的事例に基づいて説明されている.後半は局所平均効果(LATE)についての説明でこれもかなり分かりやすい.

4.Regression Discontinuity Designs

RDDについても簡潔な説明がなされている.cutoff付近ではRCTに近い状況が生じているだろうと,すなわちcutoffを超えるか超えないかは操作できないことがRDDにおけるcutoffの前提であることが分かりやすく説明されている.基本的な説明ばかりかと思いきや,cutfoff付近のバンド幅をどうやって決めるのかといった議論もしており,脚注にはこのトピックを扱った

Imbens, G., & Kalyanaraman, K. (2011). Optimal Bandwidth Choice for the Regression Discontinuity Estimator. The Review of Economic Studies, 79(3), 933–959. 

が紹介されている.もちろんSharp RDとFuzzy RDの説明もある.

5.Differences-in-Differences

最初にこの本をパラパラとめくったときにはRDDとDDの順番が逆じゃないのかと思ったが,DDの章を読んで構成を理解した.つまり,IVやRDDのようにうまい変数がみつからないときにどうするかという発想を導入するためにDDをRDDの後ろに持ってきている.とはいえ,DDも同じような悩みはあるだろう.DDが可能な前提としてCommon Trendを紹介したのちに,時間変化(time-varying)する変数をコントロールしたり,そして最後はTrendをコントロールするという流れである.DDをある程度知っている人は問題ないが,DDは固定効果モデルの一種なので,その話がないと初学者には理解が難しいかとも感じたが,紙幅の制約でパネル分析の話をできないので仕方ないという気もする.とはいえ,平均からの偏差と差をとるという程度の話はしている.DDについてはモストリーハムレスの方が明らかに分かりやすいように思う.

6.The Wage of Schooling

最終章ではこれまでに使った分析手法を順に使いながら復習をしている.このやり方は効果的だと感じる.この章の冒頭で紙幅が割かれているが,悪いコントロール変数に関する事例と説明の仕方は非常に明快である.基本的に,ここでいう悪いコントロール変数とは,treatment variableより時間軸で後に決定されている説明変数のことである.例えば,大卒/非大卒がランダムに割り当てられている状況を想像しよう.この時,賃金を学歴に回帰したい場合,コントロール変数として職業を入れたとしたらどうなるだろうか.大卒の人はホワイトカラーとなる傾向があり,非大卒がブルーカラーとなる傾向があるので,この場合,職業をコントロールしてしまっては職業効果に学歴効果がまじってしまいセレクションバイアスが生じるという具合である.後はmeasurement errorやattenuation biasの話があり,IV,DD,RDを使ってやってみたらどうなるかという流れである.

 

簡単な内容紹介だが,総じて,RCTができなくたって我々社会科学徒は色々と出来るということを簡潔に説明している良書である.終章のラストは以下の文で閉じている.

MASTER STEVEFU: Time for you to leave, Grasshopper. You must continue your journey alone. Remember, when you follow the 'metrics path, anything is possible.

MASTER JOSHWAY: Anything is possible, Grasshopper. Even so, always take the measure of the evidence.

 

 

『ハマータウンの野郎ども』第7章

言わずと知れたポール・ウィリスの著作である.かつて読んだ時には気付かなかったが,その第7章「文化と再生産の理論のために」では,制度に関する言及が多くあると教えてもらったのでここにメモしておく.

ハマータウンの野郎ども―学校への反抗・労働への順応 (1985年)

ハマータウンの野郎ども―学校への反抗・労働への順応 (1985年)

 

 

ウィリスは文化と再生産の話を進める前に,制度の重要性にも注意を払っていることを断る.

ここでは論点を鮮明にするために,もちろん事態を単純化している.国家やイデオロギーやその他さまざまの社会的制度が重要なかかわりを及ぼしている事実を無視している.とはいえ,大局的な規定要因そのものが再生産されるためにはひとまず文化のレベルに媒介されねばならないこと,私はこの点を強調しておきたい.(p.341)

 

そして国家諸制度が文化と社会の再生産に果たす役割を記述している.長くなるが引用しておく.

ここでいま少し対象を限定して,この本の研究から引出しうる仮説を示しておこう.それは文化と社会の再生産に国家諸制度が果たす役割に関するものである....(略)...まず第1に,社会の再生産の特定のありようはそれにふさわしい独特の国家制度と見合っており両者はみごとに調和していると,考えてはならないだろう....(略)...そして第2に,制度というものは単純なユニットと見立てて研究できるような対象ではない.ひとつの制度には少なくとも3つの異なった層が重なり合っている.その三層をとりあえずたてまえの層,実務の層,文化の層と呼ぶことにしたい....(略)...ある制度の重要な組織改革についていやしくも十全な評価を加えようとするなら,上記の3つの層の区別と絡まりをしっかりと押さえておくべきだろう....(略)...教育制度について指摘できることを,そのまま他の諸制度に一般化することの危険性は言うまでもない.制度が異なればそこにおける支配のありかたも異なり,職業的専門家と受益者一般との関係を異なるであろう.それについて,公的なイデオロギーとインフォーマルな文化とのズレや断絶や転倒のありかたも異なるだろうし,紛争が表面化する時間や空間も異なるかもしれない.外に拡がる階級社会とそこで再生産される文化とに,制度がいかに切りむすぶかも違っているだろう.とはいえ,少なくとも次のようには言えるはずだ,多くの制度はその公式イデオロギーの首尾一貫性にたいする信仰を必要とするゆえに,ひとしく,なんらかのかたちで自己欺瞞を犯す,と.公式のイデオロギーがなんらの抵抗も受けずに制度の最末端にまでとどくことはない.公式のイデオロギーが浸透するとすれば,それは制度の底辺においてどのようにか受容される素地があるときに限られる.さもなければどこにも浸透してはいない.ある制度のなかで上から下へとつながるイデオロギーの鎖には,そのどこかに切れ目やもつれがあるものだ.そして,鎖のその部分こそ,制度と外部の社会秩序との関係を知るうえで,また社会の再生産に果たす制度の客観的な機能を見きわめるうえで,ことのほか重要な意味をもつ.さらにはこうも言いうるかもしれない.多くの制度において人びとを一定の具体的な行動へと動機づけるものは,インフォーマルな文化がもたらす「われら見ぬいたり」という独特の意識なのだ,と.(pp.351-58.)

ウィリスが指摘している第1の点は制度のdecouplingであり,第2の点はグライフのいう制度的要素(institutional elements)と類似する.制度をフォーマル/インフォーマルで区別するのはダグラス・ノース以降広く知られることとなったが,ウィリスが『ハマータウンの野郎ども』でこの区別を用いていることは知らなかった.もっとも,ノースとウィリスではフォーマル/インフォーマルの区別の仕方が異なるが.

 

比較歴史制度分析 (叢書 制度を考える)

比較歴史制度分析 (叢書 制度を考える)

 

 

制度・制度変化・経済成果

制度・制度変化・経済成果

 

 

日経BPクラシックス 経済史の構造と変化

日経BPクラシックス 経済史の構造と変化

 

 

 

Rözer and Kraaykamp(SIR 2013) ジニ係数と主観的Well-being

自ら選択した論文ではないが,ゼミで輪読した論文.

Rözer, J., & Kraaykamp, G. (2012). "Income Inequality and Subjective Well-being: A Cross-National Study on the Conditional Effects of Individual and National Characteristics.Social Indicators Research, 113(3), 1009–1023. 

概要

ジニ係数と主観的Well-being(以下SWB)の関連が,個人属性や国の属性によっていかに異なる影響を与えているかどうかを検討した論文.すなわち,マルチレベル分析の枠組みで,マクロ変数とマイクロ変数との交差項の効果に着目している.

イントロ

ジニ係数SWBの関連をみた先行研究はたくさんあるが,その結果は整合性がない.つまり,ジニ係数が高い国ではSWBが高いという結果と,いやいやSWBは低いという結果が混在している.著者らによれば,こうした不一致はデータセットに含まれる国の違いによるものが大きいらしい.本論文では,より多くの国がサンプルに含まれるWVS(World Value Surveys)とEVS(European Value Surveys)を用いている*1.さらに,先行研究の知見からも,ジニ係数の効果は個人属性によって異なることが想定されるため(所得不平等を個人がどのように認知するかには個人差があると想定されるため),ジニ係数#個人属性の交差項をモデルに投入することでこのことを検証している.

方法

 本文では,変数選択に伴って,理論・作業仮説が述べられていたが,ここでは省略する*2

データ,変数,推計方法は以下の通り.

データ

WVSとEVSのうち1980-2008年に行われた5waveをプールしたもの.

変数

被説明変数

SWB→0(dissatisfied)-9(satisfied)

説明変数

個人レベルの変数→education,employment status, marital status, denomination. church attendance, age, age2, gender, egalitarian norms, perceived income, social trust, institutional trust

国レベルの変数→GDP, national social trust, national institutional trust

推計方法

マルチレベル.個人が国にネストされている場合,OLSで推計を行うと標準誤差が過少推計になる(Snijders and Bosker 1999)ことに触れているが,BLUP(Best Linear Unbiased Prediction)については全く触れていない.この論文に限らないが,マルチレベルは混合効果(変量効果と固定効果を同時推計する)モデルであり,因果効果をみるのには不向きで,むしろ探索的な分析手法であることを強調して欲しい.そうしないと後述の結果がよく分からなくなる.

結果

ヌルモデルを含めてモデル0~4で変数を拡張している.まず,ジニ係数は一貫して有意に正.つまりジニ係数が高い国ではSWBも高い傾向にある.この結果は本稿の仮説と整合的だが,依拠する理論自体はどの程度のレベルのものなのかよく分からないため深入りはしない.サンプルサイズが20万弱なのでほぼ全ての変数が有意だが,主要な結果はジニ係数との交差項.

(1)マイクローマクロのクロスレベル

ジニ係数SWBに与える正の効果は, egalitarian norms, perceived income, social trustが高い個人では弱まる.つまり交差項の係数がマイナス.

(2)マクロ変数同士の交差項

ジニ係数SWBに与える正の効果は,national social trust, national institutional trustが高い国では弱まる.つまり交差項の係数がマイナス.

解釈

時間がないので省略.pp.1017-21をみよ.

感想

Well-being研究はあれも効いたこれも効いた,いややっぱりあれは効いていなかったこれは効いていたという論文が多い気がする.そういえば,本論文とは着眼点が異なるがAERのP&PにあったStevenson and Wolfers(2013)では,イースタリンのパラドックスはやっぱり違うという結果.既に存在するかもしれないが,メタ分析の論文が存在していたら読んでみたい.

 

*1:WVSはサンプルサイズが大きいといっても調査設計がイイカゲンだからという声があった.

*2:主観的Well-beingの分析では,変数の操作化や仮説のヴァリエーションがありすぎるので,レベルの高い仮説とそうでないものが明白な気がするが,本稿の場合はどうなのか,専門家に聞いてみたい.

Hwang and Sampson(ASR 2014) ジェントリフィケーションの進化メカニズム

シカゴにおいてジェントリフィケーションがどのように生成し変化しているのかを分析した論文.

Hwang, J., & Sampson, R. J. (2014). "Divergent Pathways of Gentrification: Racial Inequality and the Social Order of Renewal in Chicago Neighborhoods.American Sociological Review, 79(4), 726–751. 

 

本稿で用いるジェントリフィケーションの作業定義は,「投資の失敗や経済停滞を経験した中央市街地が再投資や再興,そして中流もしくは中上流階級者の流入を経験するプロセス (Smith 1998). 」である.これまでの都市研究では,ジェントリフィケーションに象徴される社会移動がホットな話題であったが,ジェントリフィケーションの進化過程はよく分かっていない.先行研究の計量分析のほとんどはセンサスデータ等を利用してジェントリフィケーションを分析しているが,それではその土地の細かな地理的条件,環境変化 (イオンができたとか民間企業の本社がきたとか大学が新設されたとか)等を観測できない.そこで,著者のサンプソン(都市社会学の大御所)らが目をつけたのがグーグルストリートビューである.ジェントリフィケーションを捉える際の主軸は,その地域に新しい商業施設が建設されたり,古い建物が現代風に改築されたりと,「再開発」や「再投資」である.したがって,仮に物理的・視覚的な「再開発」「再投資」の状況を得点化できれば,その得点をジェントリフィケーションの進行尺度として使えるのではないかというが本稿の根本的な発想であり,「それってグーグルストリートビューである程度できるじゃん?」というのがサンプソンらの主張である.そして,このジェントリフィケーションを測定する尺度がGoogle Street View gentrification observations (GGO) scoreであるが,GGOスコアは以下の3項目の平均得点である.

(1) structural mix 

この指標は,the combined condition of older structures, which indicates an area’s preexisting socioeconomic status, and the degree of new structures and rehabilitationであり,実際には複数項目から構成されたものをヒトがグーグルストリートビューをみて判断(該当するものがあれば1を割り当て)し,平均得点を算出している.

(2) visible beautification effort

 この指標はefforts discouraging disorder (painting over graffiti),personal frontage beautification, and vacant/public space beautificationであり,その地域が美化活動にどの程度力を入れているかをグーグルストリートビューの画像から判断している.

(3) lack of disorder and decay 

この指標はlack of physical disorder, lack of unkempt vacant/public space, and lack of decaying structuresであり,その地域のdisorder度合いを計測している.

門外漢の私はこの尺度の妥当性がよく分からない.だがこの尺度を受け入れるとすると,ジェントリフィケーションの全く生じていない地域では,(1)低い,(2)低い,(3)高い,という数値になり,一方,ジェントリフィケーションの進んだ地域では(1)高い,(2)高い,(3)低い,になることがわかる.コーディングマニュアル等はオンラインアペンディックスに掲載されている(読んでも結構分からない箇所が多かった).なおインタビュー等の分類の信頼性をあらわすカッパ係数は0.5であり,やや低い気がしないでもない.とりあえず,ここで算出されたGGOスコアがジェントリフィケーションの尺度とされていることを確認しておく.

さて,被説明変数であるGGOスコアが確定したところで,説明変数であるが,黒人比率やヒスパニック比率,貧困率,持ち家率,空き家率,observed disorder,perception of disorder,殺人事件数,各種施設への距離,中心部か否か,高速バスのバス停があるか,ミシガン湖沿いか,公園があるか,公営住宅の割合が1割を超えているか,インフラ支出額等を投入している.ちなみにobserved disorderとperception of disoerderはサンプソンらが好んで使う概念というか変数であり,それぞれ以下のように操作化されている.

  • observed disorder: multi-item scale based on the presence or absence of the following items: cigarette/cigar butts, garbage/broken glass, empty bottles, graffiti, abandoned cars, condoms, and drug paraphernalia. 
  • perception of disoerder: Residents were asked to rate “how much of a problem” various social and physical incivilities were in their neighborhood—including drinking in public, selling/ using drugs, teenagers causing a disturbance, litter, graffiti, and vacant housing. 

両方ともblock-faceで集計されているので,tractレベルの値を算出するためベイズ推定がなされている(観測誤差に対応するため).

分析モデルは以下(ところではてなブログtexって使えるんですか?).

GGO = β0 + β1G95 + β2B95 + β3B925 + β4H95 + Σnk=5βkZk + ε

 Gは95年時点でのジェントリフィケーション段階(これは先行研究のデータを使用),Bは黒人比率,Hはヒスパニック比率,Zはコントロール.

分析はモデルを拡張していき8モデルがあるが,主要な結果だけを述べれば,

  • 黒人比率・ヒスパニック比率は有意にGGOスコアを低下させており,これはモデルを拡張してもロバストに効いている.さらに黒人比率がGGOスコアに与える効果は非線形である,閾値が存在する(地域の黒人比率が40%を越えると急激にGGOスコアが低下するが,40%以下だとGGOスコアに大きな変化はない).
  • perceived disorderは有意にGGOスコアを低下させる.observed disorderは効いておらず,perceivedのみが有意に効いているのは評判や偏見の問題と密接に関連していると推測される.(但しobserved disorderはPHDCN というプロジェクトで撮影されたシカゴの全ストリートの画像をもとに,ゴミ箱がちゃんとあるかとか割れた瓶が路上に落ちているかとかそういったものを変数にしたものであるため,録画日によって変動が大きいはずである.なのであまり信頼できる変数ではないだろう)
これまでジェントリフィケーションをどう計測するかで議論があったが,この手法はこの分野の躍進に繋がるだろうと著者らは述べている.GGOスコアの算出に使うストリートビューをしてコーディングする作業はマニュアルがあるものの,主観的なものであるため,その点限界だとしているが,これまでのセンサスデータのみでは分からないことがたくさん分析できるのは利点だろう.そもそもストリートビューを使って何か変数を作成するという発想がなかった.同じ枠組みで日本でジェントリフィケーションの話をしようとしても,的外れなところがあるかもしれないが,ストリートビューを使って説明変数を作成したりなんてのはできるんじゃないかと思えてきた.しかしながら,コーディング作業に膨大な時間を要することが予想されるため,人員が確保できないとできない作業だろう.結果としてこのことがサンプルサイズの少なさにもつながってしまうことは本文でも指摘されていた.
最後にインプリケーションであるが,分析結果によれば,黒人比率やヒスパニック比率の高い地域というのはそもそもジェントリフィケーションが起こりにくい.黒人比率やヒスパニック比率の高い地域というのは多くが貧困地区である.ジェントリフィケーションといえば,中上流階級のひとたちが貧困者の居住地区に移り住み追い出すという状況がイメージされてきたが,実際には,中上流階級のひとたちは黒人やヒスパニック比率が高い地域には流入していなかったし,治安の評判が悪い(perceived disorder)地域にもあまり移動していなかったのだ.ただこういう効果がはっきりと確認できるのはシカゴだけなのではという気もする. 
 
 

 

Beckfield et al.(ARS 2013) 社会学における比較医療制度分析

社会学における医療制度の比較分析をレビューし,評価した論文.

Beckfield, J., Olafsdottir, S., & Sosnaud, B. (2013). “Healthcare Systems in Comparative Perspective: Classification, Convergence, Institutions, Inequalities, and Five Missed Turns.” Annual Review of Sociology, 39(1), 127–146. 

 ARSに医療制度の論文があったので,読まなければと思いながらも,結構な時間が経ってしまった.ちなみに,ファーストオーサーのベックフィールド社会学でHealth系を扱っており,関連論文も多数ある.

 さて,このレビュー論文では,医療制度を比較分析するにあたって,(1)近年の研究テーマ動向,(2)社会学で軽視されてきたトピック,の2点に絞りレビューと評価が行わている.

(1)近年の研究テーマ動向

ここでは主要トピックとして以下の4点を挙げている.

  • 医療制度を分類する研究(CLASSIFYING HEALTHCARE SYSTEMS)
  • 医療制度の収斂現象に着目する研究(CONVERGENCE: NEW AND OLD)
  • 医療制度の境界に関する研究(INSTITUTIONAL BOUNDARIES)
  • 医療制度と様々な不平等の関連を分析する研究(DISPARITIES, INEQUALITIES, INEQUITIES)

「医療制度を分類する研究」では,様々な分類が可能であるが,それが分析上意味のあるもの(analytically meaningful)でなければならないことが指摘されている.この指摘はあまりにも当たり前すぎるが,先行研究では福祉レジーム論とは異なる分類がたくさんあるようなので,何のために分類をしているのか分からないものがたくさんあるということか.論文中で紹介されているMoran(1990; 2000)では,"healthcare state"という概念が導入されており,そこでは,財政方式やサービス供給体制等を考慮した4分類がなされているという.これは知らなかったので後でチェックしてみようと思う.しかしながらCLASSIFYINGを延々とやっていても意味がないと思うし,島崎(2011)のように制度の細部に目を配り丁寧に分析するほうが好みである.

「医療制度の収斂現象に着目する研究」では,各国の医療制度が収斂しているのかが議論される.この手の話は福祉国家論でよく見受けられるが,ベックフィールドらが指摘しているのは,収斂の話は国単位でなく国内の地方自治単位でもできるということである.Clavier(2010)は実際にデンマークとフランス国内を事例に収斂を検討しているらしい.

「医療制度の境界に関する研究」では,医療制度とは一体なんなのかという問いにはじまり,制度の境界の変化を見極めようとしている.例えば,移民の増加によって医療制度はしばしば再編されるが,そういった実証研究は少ないという.日本でやるとしらたどういった分析があるのかはパッと思いつかないが,ヨーロッパあたりでは国際比較分析が出来るのかもしれない.

「医療制度と様々な不平等の関連を分析する研究」では,医療制度が個人の健康指標等に与える影響が分析される.これはいかにも社会学らしいというか,王道のマクローマイクロリンクの分析である.私としてはここのレビューが最も参考になり,いくつかの分析ネタを思いついた.基本的な問いは"how the healthcare system relates to other broad social conditions that matter for health and disease."(p.134)である.

(2)社会学で軽視されてきたトピック

ここでは5点が挙げられている.

  • 関係性の観点(The Relational Turn)
  • 文化的観点(The Cultural Turn)
  • ポスト国家的観点(The Postnational Turn)
  • 制度的観点(The Institutional Turn)
  • メカニズム的観点(The Mechanismic Turn)

関係性の観点(The Relational Turn)では,親の階層が子の医療機関の受診行動に影響を与えるというLareau(2003)が紹介されていた.こういう分析はいくらでもありそうだが,意外とないらしく,"it is surprising that the analysis of specific relational structures has not made more of a mark on the comparative analysis of healthcare systems. "(p.136)ということらしい.

制度的観点(The Institutional Turn)に関しても,"it is surprising that the analysis of specific relational structures has not made more of a mark on the comparative analysis of healthcare systems. "(p.138)だそうである.

軽視されているというトピック5点は社会学では王道のものなので,本当に先行研究があまりないのかという感じはするが,冒頭にあるように,そもそも医療制度との関連で分析したものが少ないので,本当に少ないのだろう.いずれにしても,医療社会学では医師/患者の話が中心だったため,医療制度に焦点があてられなかったのかもしれない.医療制度のパフォーマンスが社会的コンテクストによって異なるという話は計量分析でやりやすいネタだと思う.当然,なぜ異なるのかに関するメカニズムを探求することも重要である(The Mechanismic Turn).

アメリカでは計量医療社会学的な研究というのは結構あったりするが,日本ではほぼみない気がする.医療は色々と制度的規制の多い分野であり,それを利用して,最近だとRDDで因果効果を推計したりと,面白い題材がたくさん転がっている分野だと思う.もちろん社会学でこういうことをやってもいいはずである.